芸術文化は誰を幸せにできているのか?考えた結果www\(^o^)/

      2017/03/14

どもども、hayashiです。

今日は前回の記事の補足をしようと思うよ。

日本の音楽とその発展した結果www\(^o^)/

それでも、日本で自分の音楽をやりたい場合は、どうすれば良い?

海外でやれ、と言ったな。
それは本気で思っている、しかしかなりの苦難の道だと思われる、慣れぬ土地で住むという事なのだ。
言語・人種・衛生・治安・文化の違い、様々な障害があると思う

そこまでギャンブルみたいなことはしたく無い

じゃあ、ネットで海外に向けて発信すれば良いと思う。
英語なら英語で呼びかけるんだ、喋れなくてもGo◯gle翻訳でなんとか意思疎通は出来るはず。どんだけニッチで日本で需要無い音楽と言ったって、世界中には絶対需要があるはずだ。
例えば「◯◯国の民族音楽がルーツで現代風にアレンジしてる音楽を作ってる」のであれば、その◯◯国の言語と英語で呼びかけるのだ。
(英語の世界使用言語の使用率は日本語の7倍と言われる、あくまでもy◯utubeでの統計だが、実際に海外旅行でも大体英語で行ける世の中だ)

公表した動画やら音源に実力有りきの本物であれば「日本人がなんか面白いのやってる」と、興味を抱くと思う。
会員制ファンクラブなどをネットで作って見ては如何だろうか?
広告も全てネットだ、SNSやらブログやらフルに使ってみて、実際にアクセスやらメンバーリストを数値化すれば、文化的に厳しくながらも音楽としてどのぐらいの評価をされていくのか見て分かると思う。

勿論これは、正しく評価されたいがための手段の一つだ。

さて、ここで一つ、私自身もこのブログを書くまで思い込みがありまして、少しショックを受けた事を上げるよ。

様々な人間の感情や歴史を刻んできた文化、そして資本主義、その相性は最悪

「一位じゃ無いとダメなんですか?二位ではダメなんですか?」

皆も記憶にあるのではなかろうか、現在でも話題のとある政治家の発言である。

「注意!最初から断っておくが、政治家批判の為の記事では無いし、マスコミ批判する記事でも有りません。全文を読んで頂いてから判断して貰いたい。」

2009年に事業仕分けを行った時の発言で、かなりの反響を呼び、正に炎上した発言だったと思われますが、さて

報道を見てからその時の議事録の中身を見た事ある人は、国民の何割でしょう?

恥ずかしい話、私もブログを書くまでは議事録なんて読む気もなかった。

その時の事業仕分けの時の議事録を読んでみました。

内閣府の議事録

http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9283589/www.cao.go.jp/sasshin/oshirase/h-kekka/pdf/nov13gijigaiyo/3-17.pdf

PDF23ページ分だが、大まかざっくりでも良いので自分の目で見て欲しい。例の発言は16ページにあるのでその前後だけでも見て貰いたいです。

大体の話の流れ

次世代スーパーコンピュータ技術の推移事業

総工費約1200億の予定、この時に約540億を既に使用。

開発担当はF◯JITSUとHITA◯HIとNE◯に委託していた。

が、リーマンショックの財政難を理由に、HITA◯HIとNE◯が開発を撤退すると表明

二社の撤退で大規模な設計変更をする事に。

「本当に継続出来るのか?」

「変わらず世界一位を目指します」

「アメ◯カが本気で開発したら一位はすぐに奪われるかもしれない、それでも残り700億を投資する価値はありますか?
どうしても単独で1位じゃ無いとダメな理由を説明してみてほしい。」
(一位に残り700億の価値があるかを聞いている)

「夢を与える仕事なんで、
一位を取らなければ意味が無いんです。」

「それでは何の為の一位なのか説明になってない。」
ここで例の発言「一位じゃ無いと駄目なんですか?2位ではダメなんですか?」

そしてマスコミは例の発言部分のみを編集して報道した。

私が言いたい事は別にある、この報道で国民意識がどう変わったかとの事では無い。
この前後の流れをカットされ例の発言部分のみを報道された、それが国民の感心と感情を一番刺激、そうやって情報ビジネスが発生する、その一連に他ならない。

重ねて言うが、私は政治家批判もマスコミ批判もする気は無いし、話の論点はそこじゃ無い。

利益の追求をしなければ淘汰される資本主義、
炎上した者勝ち、またはさせた者勝ち

この報道だって、本来なら前後の話の流れを要約してどう言う経緯でその発言に至ったかを説明する必要があるはずなのだが、

手間をかけて正しい報道をすれば利益を縮小させる、真面目が馬鹿をみると言うのが、現在の資本主義経済に乗っ取った生き方なのだ。

報道に関してもう一つ、熊◯大地震はまだ記憶に新しいと思う。
TVで崩れる家屋をみたことあるだろう、約15秒ぐらいの映像だが、まさに人を釘付けにする映像だと思う。

「そう言う映像を撮ることで日本中の危機感が増して援助が増えただろ」とか、そんな話ではない。

あの映像は危険で崩れそうな家屋の前で、何十人ものカメラマンが今か今かと崩れるのを待ち構えていて撮れた映像である。
被災した方々はその異様な光景をみて、「情報のハイエナの様だ」と酷くネットで非難したのである。

だがそのカメラマン含むマスコミという業界は

インパクトのある絵を取らなければ稼げない、飯が食えない、だから何処もなりふり構わず「そう言う仕事だ」と割り切ったり、「酷い事実を知ってもらう必要がある」と大義名分を飾ったりする。

そうした中でやり過ぎた一部のマスコミがネットで叩かれる、そしてマスコミ全体も叩かれる。
そうすれば「誠実な報道を目指すべき」という人間の「良心」は、利益主義と一部の暴走批判により必然的に淘汰されていくのだ。

この世の中、資本主義社会で一番真っ先に淘汰されるのは、
稼げない魅力の無いコンテンツよりも、
本来人間が持ち続けるべきである「良心」そのものなのだ。

何度でも言うが、誰が悪い何が悪いの問題では無い。
真面目に生きようとする人間こそが真っ先に淘汰されて行くのが現在の社会という話だ。

話題になったD◯NAのwe◯qの時も同じ、リライトが良い悪いの話が大事では無い。

私が思うに、問題となった根本には

ビジネスと言う資本の追求において、
人の感情が一瞬でも入る隙を作れば遅れを取り、
人の良心はビジネスにとっての「一番の障害」であると排除されていった、その結果の必然的末路であったのでは無いか?

稼いだもの勝ちの資本主義では
本来、人が永年大事にするべき「良心」そのものが
淘汰されて行く時代なのである。

この資本主義に「ニッチな需要無き文化」はどう向き合うべき?

私は資本主義に沿った日本の音楽がどう変貌するかと言う記事を書いた、今度はその影で淘汰されていく音楽文化にフォーカスしたい。

私自身ドラマーであり、好むジャンルはJAZZとフュージョン系である。
それらはポップスやロックやボカ◯と違って、年齢層も若く無いし聞く人間も圧倒的に少ない.

関心無い人間からしたら「渋い」「よく分からん」と言われても、音楽を娯楽として聴く人間の率直な感想だろうし、それは仕方ないと思う。

そうだとしても、やりたいねん、好きやから

JAZZはオワコン(終焉コンテンツ)だと言う意見があって、その理屈は日本では伸びる需要が見込めないからだと言う、聞く関心のあるお客様は音楽を知っていないと楽しみにくい前提もあるし、演奏者に求められるスキルが高い、プロミュージシャンの仕事の話と酷似するが、
恵まれた環境で血の滲む努力が出来る人間だけがようやく人並みに稼げる世界だ。

天才と呼ばれる彼ら彼女らは、物心付く前から音楽の英才教育を受け、誕生日プレゼントに楽器を与えられ、常に音楽の最前線で渡り合える資金もコネも実力も血も、全て持っていてなお切磋琢磨しあうのだ。
そうして功績は文化として、人を感動させ歴史に記録されて行く。

正直言って羨ましい、だが凡人の私達にだって、生まれた環境は違えど音楽を好きでいる心は同じはずなのだ。

誰も何も悪くない、だが摩耗するのは人の心そのもの

 

例え才能無かろうと環境無かろうと、支援を受けながらでも、困窮してでも、たとえ「稼げないプロ」でもやりたいねん、私の父も過去その一人だったに違いない。

バイト先で調味料拝借してご飯にかけて食べる生活でも。

銀行側にとって無職同然、だから与信が無くてクレジットカード作れないとか言われても。

「ミュージシャンって良いよね、誰かがずっと養ってくれるんでしょ?」と言われても。
「ミュージシャンの子と遊ばせるな、悪い影響が感染る」と、周りに囁かれても。
「お前、もう良い加減にしたらどうだ?迷惑を考えた事ないのか?」と言われても。

自分が売れない音楽を好きにさえならなければ、
もっと幸せに生きられたかもしれない、
支えてくれる家族ももっと幸せにできたかも知れない、
と人生を呪っても。

それでも、音楽を好きになった事に罪はないし、誰も何も悪くない筈なんだ。

夢を夢で終わらせて生きるだけが、今の社会で生きる賢い選択なのだろうか、私はそんな世の中で生きたくて今まで来たわけでは無い。

人を不幸にさせる文化なんて存在しちゃいけない、

 

ぜっっっったいにあってはならないなずなんや!!

じゃあ、ニッチな文化はどのように生きていけば良いの?

資本主義は今後50年や100年で変わる様な物では無い、淘汰されるのはコンテンツの前に人の良心、その事実は恐らく変えようもない。

人一匹が社会の流れを変えることは出来ない、稼動している洗濯機に蟻が飛び込む様なものだ。

生きる為にはその流れに乗って行かねばならない、荒れ狂う濁流をどの様にして味方につけるかが必要だ。

まずは正しく評価される環境を作ること

淘汰されるべきは人の心では無く、稼げ無いからオワコンと言う現状そのものだ。

そして報われるべきは文化を愛して楽しむ人の心だ。

早い話が、上記の話は全て、人並みに稼げたら解決できる物である。

そして競争ありきの正しい評価を持って、初めて求められる音楽コンテンツであると言えるのだ。

資本追求の経済とニッチな文化は共存できない。

ニッチな文化というのは音楽のJAZZやフュージョンだけではない、TVに出ないような潜在的文化、人に知られない文化その全てに当てはまる。

文化と言うものは2000年も渡り世代から世代へ、より良い物を作ろう、誰かの役に立とう、と言う心が繋いできた技術と誇りそのものだ。
その心はどの様な時代でも、人が生きる限り求められる続けるはずだ。

それが近年たった30年ぐらいで大きく揺いだ、職人もアーティストもミュージシャンも、稼ぐ事に重点を置かねば淘汰される時代になって来た。

私はそれが一番つまらない、淘汰されるべきはその流れだ。

隔離されたコミュニティ、オンラインサロンの可能性

資本追求経済そのものとニッチな文化を切り離す、その方法が無いわけでは無い。

オンラインサロン、言うならネットを使っての有料会員制のプラットフォームだ。
それを冒頭でも申し上げた、英語なり別の言語で世界に出す。
もし本当に需要あるコンテンツで人を感動させるものであれば、課金は発生する筈だ。
そして無き者は淘汰されるだろう、だがそれは「正しい意味」での競争敗北だ。

競争(戦い)こそが、人間の可能性なのかもしれん。

あるお方が言った「オンラインサロンは今後、500倍位に増える」と、そう思うし、そうなるべきだと思う。

必要である文化やスキルは必要とされる人の元に届き、課金によって正しく評価される。
そうで無い物は競争を生き抜く事でより、求められる魅力を見いだし、それが新たな文化の始まりとして課金に値するか、人を感動させられる物なのかを、再評価されるべきなのだ。


日本の文化は二極化する。

ここ30年の資本追求主義に沿った文化と、対して2000年培って来た伝統ある文化。

私はどちらが良い悪いで無くて、両者とも無くては人類の成長、文化の発展は無いと思う。

そして両者ともに、その環境にFITしたフェアで正しい競争で無くてはならないのだ。

それが当たり前である未来を、私はドラマー、または職人として、生きて行きたいのだ。

最後に。

えらく長くなって申し訳無い、長文お疲れ様でした。m(_ _)m

伝えたい大事なことを要約すれば、「良心を大事に文化を追求する人こそ、幸せに報われないとダメだよね」ということです。

そしてこれからの人生は、そんな世の中にする為のお手伝いとして何か出来る事は無いかと、思う事を書き綴ったまででした。

シェアしたい方いらっしゃれば是非どうぞ、
ただし一部のみ引用などはご遠慮ください、誤った解釈をされては誰も幸せになれないので。

職人とドラムで生きていく人間から、現場は以上です。

ではでは、またね〜

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